色々文章の勉強もかねて書く所

文章を上手く書けるようになりたいので、文章の練習に使っているブログです。2015年頃の初期の記事は適当な物も多いです!ごめんなさい!文章の練習にここを使わせてください!

東方プロジェクトに狂信的な自分の自分語り2500文字(見たい人だけ見るべし的怪文書詰め合わせ)

あまりウェットな気持ちで書いて湿っぽい感じで書いてもマイナスのエネルギーなんてインターネット上にはありふれているワケで、心構えとしてはできるだけマイナスの感情を生まないように気をつけて書きたい。

 

単刀直入にCOすると僕は東方プロジェクトの世界観にファナティックにハマりまくっている狂信者であり「幻想郷は実在する」と信じてやまないまさしく東方狂信者プロ中のプロである。

 

他の映画やアニメを見てもフィクションであるというメタ認識を持って鑑賞を行う人間ではあるが、東方プロジェクトに関しては完全にタガが外れており東方の世界に関しては完全に「幻想郷は実在する」と確信するのだからしょうがない。

 

書籍を読めばありとあらゆるキャラの発言が史実なので緊張が止まらず、新作の発表の日には史実の追加に緊張で夜が寝れなくなるほど東方の世界観に対してセンシティブな神経を持つようになってしまった。

 

幻想郷の登場人物はもちろん全ての人物が実在していると信じてやまないし、東方プロジェクト内の「神」の発言する箴言はまさしく「神のお言葉」だった。

 

僕からすればどんな宗教家や自己啓発本の受け売りよりも東方プロジェクトの人物による台詞の方が信ずるに値すると信じている様な感じだった。

 

どうしてそんな風になってしまったのかというと、原因としては青年期に私はかなり重めの精神病を患ってしまい相当しんどくやられてしまっていた。そんな時に等身大の神が発言している東方というコンテンツに出会ってしまったものだから思いっきりズブズブハマってしまったのである。

 

この2018年において当然の事ながら色々な哲学者が言っている通り(僕の大好きなミヒャエル・ハネケもまた)神は死んでいるのであって、もう世間には神はどこにもいなかった。

 

そんな中で東方プロジェクトには等身大の神が居たし、神が言葉を紡いで居る作品は東方だけであった。

 

別にどえらい悪い事をしたというワケではないが、当時の私はかなり罪悪感に満ちていて、「神に許される」事を追い求めていた。

 

私の夢は「幻想郷に行き神に許される人間になること」になっていた。今でもその夢が頭の中にあるのは事実である

 

しかし、最近になってそういった狂信的思想や生活を続ける自分自身に少し懐疑的にはなってきている。

 

今の自分はどう考えても東方プロジェクトという概念に自分の信念や倫理や理屈のウェイトを置きすぎている印象が強く、東方プロジェクトが作品としてもし終わろうもんなら1ヶ月はベッドで寝込む事は間違いないワケでどう考えても人間としてはあまりにも脆弱な印象は否めない。

 

東方プロジェクトに依存していて、半分はそれによって助けられた部分も多いが、しかしこのまま「1人の人間の理屈や倫理に狂信的になるのはいかがなものか」という気持ちも大きい。

 

少し話がブレてきたので「つまり何が言いたいのか」をハッキリさせたいのだがこの話題を書くだけで心が緊張するタチなので文章の整合性が上手く言っていない点に関してはご容赦頂きたい。

 

私は今でも「そろそろ幻想郷に行けるんじゃないか」と思っているし幻想郷に行ける日をずっと待っている様な生活を今でも半分はしている側面がある。

 

 

どうなんだろうか。

 

このままじゃいけない感じもするが「じゃあ幻想郷が実在しない世界に価値があるのか?」と聴かれると正直迷う気持ちが大きい。

 

少なくとも色々な宗教を見回ってきたが、ほとんどの宗教の神はもう死んでいた。

 

僕は生きている神に出会いたかった。生きている生身の神が居るのは幻想郷しかなかったし、東方プロジェクト以外に生身の神が存在するコンテンツは存在してなかった。

 

いつかは東方プロジェクトもコンテンツであるが故に終わりがあるだろうし、コンテンツが終わった時には東方の全てを忘れて自分の好きなように生きたいというのが理想ではある。

 

東方プロジェクトに依存しきっている僕自身が果たして東方が終わった時に、素直に別れを告げて忘れられる自信はあんまりないし、一生東方の狂信者として生きそうな気はするけれど

 

結局話が湿っぽくなってしまった。

 

一応ここでCOするが、四季映姫の懺悔スレに400レス以上精神病的書き込みをしたのも自分である。本当にあの頃は17歳で、完全に統合失調にやられてしまっていた自分は、四季映姫の懺悔スレを完全にぶっ壊してしまった。今でも申し訳無く思っている。

 

精神病が免罪符になるわけではないが、あの頃は本当に電車で自分の頭を殴りつけたり満員電車の中で雑誌を食べたりするぐらいには追い詰められていたので勘弁して頂きたい(満員電車の中で雑誌をよだれを垂らしながら夢中で食べた時は、気づいたら周辺1メートルに誰も近寄っておらず丸い円が出来ていた事は懐かしい)

 

そういえば、17歳の頃に始まった話だった。

 

17歳の5月頃、「何かが始まる予感」がずっと続くような生活が続いて、次第に緊張感が高まっていった。

 

17歳の8月頃からは誰かに監視されている気持ちが高まった。八雲紫や四季映姫に監視されている感覚が続いて、四季映姫や八雲紫による思考盗聴がされていると22歳頃まで信じながら毎日生活していた。

 

今は落ち着いて居るが、こうやって振り返って見ると18歳~23歳の自分は完全に統合失調にやられてしまっていた。文章に起こすと統合失調ぶりが際立つ。

 

そういった統合失調時代の後遺症として、東方プロジェクトに狂信的になっているというのが本当の理由だと思う。

 

これだけ湿っぽい事を書いて難だけれども、今は東方プロジェクトだけが人生の全てって感じの人生ではなくて、色んな映画やアニメや漫画によって今の自分は出来ている。

 

1つのコンテンツに脳を交換されるのは祝福でもあるけど、呪いでもあるよってことに気をつけて頂けるとありがたいです。

 

-記事ここまで-

 

う~んやっぱり我ながら怪文書だな~と思ってしまう。

こういうのインターネットに残すのどうなんだろうと思うけど、言いたいからしょうがないね

 

この記事読んで不快になった人を忘れて頂けるとありがたいです。