ゲド戦記。めっちゃ面白い映画ですよね。
えっ?普通に面白くない?まあこの記事を読んでから色々考えてくれよ。
そんなゲド戦記の面白さについて考えようと思います。
このゲド戦記に出てくるアレンは父親を刺し殺し、浮浪していた所を狼に殺されそうになります。
「お前たちが僕の死か」と言い、死の覚悟を決めようとするアレン。
死を受け入れようとするアレン・・・だけど・・・
でも噛まれる直前になってこの顔になるワケですよ。
「えっ待って!?死のうとか思ってたけど死ぬのメッチャ怖くなってきた!」って顔ですよね。
これってまさに「死にたがり系メンヘラあるある」で、死にたがりなのに死の間際になってめっちゃ怖くなっちゃう感じが出てて凄く好きなシーンなんですよね。
そんな死にたがりメンヘラなのに死ぬのが怖いメンヘラなアレンが生きる希望を手に入れる映画として、この映画が傑作である事について考えてみます。
ちなみにその後アレンを助けた時・・・
「なんで殺させてくんねえんだよっ!」みたいな顔されます。
死にたいのか死にたくないのかめんどくさい事極まりないメンヘラちゃんなアレン。でもそれがいい。
話は飛んで
序盤の中頃。テルーが男達に襲われるシーン。
「その顔じゃ 商品にはならないな、商品にはならないが、ちょっと かわいがってやるか」
ここ、テルーをレイプする間際のシーンです。
直前で止められたとはいえ「ジブリ作品でレイプ寸前のやりとりがされる」というのは中々無いですよね。
こういった所が「攻めた作品にしよう」という宮崎吾朗兄貴の気持ちが見て取れますよね。
ゲド戦記は作品としては割とポップに落ち着いた作品になってますが、クモの顔のシーンしかり「ダークファンタジーをジブリ作品でやりたい」という願望がゴローちゃんにはあったと思うし、その心意気だけで「ゴローちゃん凄いよ!」と思っちゃいます。
テルーを襲っていた男達に絡まれアレンは男に「命乞いしてみろ」と挑発されます。
その言葉が死にたがり系メンヘラのアレンの逆鱗に触れた!
この様に映画序盤のアレンは「命」に対して非常にニヒルな感情を抱いていて、命というものなどバカバカしいという価値観を持っている事がわかりますね。
テルーの命がかかっていても・・・
こういう事を言っちゃう。要するに「他人の命も自分の命も大事にしてない人間」なワケですよ。
そんなんだからテルーも助けられてもこの顔ですよ。「もっと命大事にしろよ!」ってご立腹。
んでもって「命を大事にしないやつなんか大嫌いだ」って言われちゃう。
公開当時は「希薄なセリフだ」なんて酷評されたけれども、この「命を大事に~」の下りは観客に向けたメッセージなのではなく、アレンに向けたメッセージなんですね。
話は飛んで名高いテルーの歌唱シーン。
結構これが長いんですよね。ウチの親なんか「いきなり歌うの?」とか言ってました。
これを聴いてアレンは泣いちゃうワケですよね。
これ「宮崎吾朗自身がこの唄を聴いてボロ泣きした」って事だと思うんですよ。
歌を歌うシーンが凄く長い理由も、アレンが涙を流す理由も「アレンは宮崎吾朗だから」っていう理由が一番適切だと思うんですよね。
「えっ?つまり宮崎吾朗って死にたがりメンヘラちゃんだったの?」
多分そうなんですよ。
だからこの映画は凄いんですよね。僕には宮崎吾朗っていう映画監督が庵野秀明に見えてしまうし、アレンはエヴァンゲリオンの碇シンジに感じてしまう。
「宮崎吾朗、お前ここまで精神病んでたのかよ・・・」っていう所にものすごくグッと来てしまう。
そしてアレンは自分の心の闇にも惑わされます。
まあメンヘラさんならわかると思うけど「めっちゃ死にたい気持ち」って突然襲ってくるものじゃないですか。それのメタファーですよね。
夜に突然死にたくなる負の感情の塊を「もう一人の自分」で表現したワケですね。
ちなみに映画序盤の街で風が吹いてアレンが逃げるシーンがありますけど、これはもう一人の自分から逃げていたんですね。
そしていよいよゲド戦記の名シーンですよ。
「ぼくは永遠の生命を手に入れるんだ
ずっと不安でいるなんて嫌だ」
「不死は生を失うことだ
死を拒絶することは
生を拒絶することなんだぞ!」
「そんなの嘘だ!」
「聞きなさい
この世に永遠に生き続けるものなど
ありはしないのだ
自分がいつか死ぬことを
知ってるということは
我々が天から授かった―
素晴らしい贈り物なのだよ
わしらが持っているものは
いずれ失わなければ
ならないものばかりだ
苦しみの種であり 宝物であり
天からの慈悲でもある
わしらの命も」
ここ、毎回号泣しちゃうんですよね。
ここまで死にたくないという気持ちをこじらせていた宮崎吾朗に対する同情心でもあったり、そんな宮崎吾朗が「死ぬという事を知っているというのは、終わりを知っているという事はとても素晴らしい事なんだよ」と言ってくれた事。
「死の恐怖に我々はどうすればいいか?それは死を大切に思うことなんだ」
色々な映画を見てきているけれど、この主張は映画史に残ると今でも思う。
死にたくない人間に、ここまで誠実なメッセージを送り届けてくれた事。ただただその事に対する感謝で心が満たされるし、号泣してしまう。
ありがとう宮崎吾朗。あんたの意志は俺が受け取ったよ!ってなっちゃう。
終盤のテルーとの会話。
「大切なものって何だろう?
大切なのは命に決まってる
人はいつか死んでしまうのに
命を大切にできるのかな
終わりが来ることが わかっていても
それでも―
生きていくしかないのかな?」
「違う! 死ぬことがわかっているから
命は大切なんだ
アレンが怖がってるのは
死ぬことではないわ
生きることを怖がっているのよ
死んでもいいとか
永遠に死にたくないとか
そんなの どっちでも同じだわ
一つしかない命を生きるのが
怖いだけよ!」
「命は自分だけのもの?
あたしはテナーに生かされた
だから生きないといけない
生きて次の誰かに命を引き継ぐんだわ」
このセリフで、いかに宮崎吾朗が「死」という概念と誠実に向き合ってきたかがわかるし、それだけでも感動してしまう。
ほかの人が他者であることを忘れ
自分が生かされていることを
忘れているんだ!
死を拒んで生を手放そうとしているんだ
目を覚ませ クモ
怖いのは皆 同じなんだ!
死にたがりのメンヘラちゃんが映画の最後にはこんな事言っちゃうまで成長しちゃう。
アレンという主人公の成長物語として普通に感動できる作りになっているワケですね。
そして最後には龍であるテルーと和解するワケですね。
太古 人間と竜は一つであった
しかし ものを欲した人間は
大地と海を選び
自由を欲した竜は風と火を選んだ
以来 人間と竜は交わることはなかった
今まで人間と竜は交わる事が無い種族だったのが、アレンは交わることが無かった竜と和解する事に成功し、「世界の均衡を取り戻す」という映画の目標の第一歩を踏み出した所で物語がエンディングに入るワケですね。
こうやって見るとゲド戦記。凄く面白くないですか?
えっ?なんでテルーは竜なの?って?うん・・・まあ・・・それは・・・
少なくとも僕はとても感動できる完成度の高い作品だと感じました。
宮崎駿さんはこの映画を見て「気持ちで映画を作っちゃいけない」と酷評しました。
でも僕は気持ちで映画を作っても良いと思う。
実際ゲド戦記は大衆の評価は散々だったけれど、僕の心には間違いなく響いた。
僕以外の人間にも「ゲド戦記面白い!」と言ってる人はたくさんいる。
気持ちで作品を作ったら、大衆にはウケないし評価は散々になるのかもしれない。
それでも「気持ちで作った作品でも想いは届くぞ!」という所は声を大にして言いたいんですよ。
というワケでゲド戦記評でした。正直。BD欲しい・・・
皆さんもゲド戦記。アレンの成長物語として見てみて下さい。とても面白いので・・・
ここまでは書かなかったけど色彩が鮮やかじゃなかったり、レイアウトが単調だったり(この辺はパヤオが天才すぎるからしょうがない)作品が前に進む感じが全くしていなかったり、アクション作画にもう一歩欲しい所があったり、劇伴が明らかにミスマッチだったりする死ぬほど欠点もあるけどね。それでも面白いんですよ・・・