どうしても許容できないコンテンツがある。
TVのニュースである。
TVのニュースとは、殺人。強盗。暴力。虐待。そしてスポーツとエンタメが交互に交錯するコンテンツである。
ある日「人が死にました、続いてスポーツです」と本当にテレビのアナウンサーが言ってしまった時「正気か?」と思った。
メディアの悪い所は、悪いニュースを報道するにもかかわらず、そのニュースを発信して産まれた感情の責任を取らないという点にあります。
最近では、海外の動物虐待の映像や、煽り運転の口論がよく映像として持ち上げられます。
見ていて気分が良くなるワケがありません。誰かが火事で7人死んだという話を届けられても、ただただ気がめいるだけなのです。
親にその事を告げると「ドラマみたいにボーッと見るものなんだよ」と言われたのでもっと厳しい気持ちになりました。
人が死んだり、人間が人間に暴力を振るう映像を「ボーッと見るもの」と本気で私の親は思っているし、多くの人がある程度この様なスタイルでニュースを鑑賞している事が私には耐えられません。
人間の感情は、波及し、呼応して色んな人間に広がっていくものです。
だからこそ、マイナスの情報を流せば、マイナスの情報が人間の中で波及し増幅されるものなのです。
だったらマイナスの情報を波及させたメディアに責任があるはず。と僕は考えています。
皆不思議なのです。こんなにも政治家や迷惑行為を犯した若者や煽り運転をした中年男性に怒りを感じる人は居ても「どうしてこんな情報を伝えようと思ったんだ!」とメディアに怒る人間はほとんど居ないのです。そもそも、メディアが「これを伝えよう」と思わなければ、我々はそもそも論として腹を立てずに済んだはずです。なのに皆情報を発信したメディアには怒らない。
僕には不思議な光景に思えます。
ここで私が大好きなミヒャエル・ハネケの本の中から引用を。
”世界についての情報をテレビからしか得られなかったら、とっくに自殺しているよ、と私はよく言っています。テレビニュースは大惨事や暴力や苦痛のことばかり報道しています”
”メディアに唯一の責任があるとも言いません。それは馬鹿げています。しかし、メディアが日常の暴力の拡大に対して、責任の一端を担っていることは否定できないように思われます。”
引用:ミヒャエル・ハネケの映画術
ナイトクローラー評でもメディア不信を書いたけれど、またメディア不信の話を書いてしまった。それぐらいには僕はメディアが大嫌いである。
僕から言わせれば、裸踊りをネットに上げるSNSの人達よりも、殺人を報道するニュースの方がよっぽど悪質だ。TVや新聞は自分は格上の存在だと思っているし、だから自分たちの記事や報道が悪意を民衆に呼応させる事があっても、その責任を取る必要は無いと思っている。本当に大嫌いだ。
前に映画ナイトクローラーを通じてメディア不信を書いたので、興味があったら見て欲しい。
ナイトクローラーは「メディアが過激さを力として獲得していく映画」としてものすごく大好きなのでみんなも見て欲しい
ちなみに、ナイトクローラーで過激な報道をやろうとすると「そんなの過激だし良くないよ!」って止めてくれる社員がTV局の中に実は居て、それが「メディアも一枚岩で暴走するワケじゃない」って所も表現していて、本当に素晴らしい映画なのでぜひ見てくれ。
やや愚痴気味だけど、これだけはハッキリ言っておきたかったので書きました。ニュース大好きな人とかごめん。でも今のテレビニュースは許容できないね・・・