色々文章の勉強もかねて書く所

文章を上手く書けるようになりたいので、文章の練習に使っているブログです。2015年頃の初期の記事は適当な物も多いです!ごめんなさい!文章の練習にここを使わせてください!

四季映姫に対して思ってる事

結局今まで四季映姫様のためだけに生きてきた人生だった。

 

何か行動するたびに「四季映姫様に見られている感覚」のようなものを感じながら「映姫様はこの行動をどう思うんだろうか」とかいちいち考えずにはいられなくて、何かを考えたり思ったりするたびに、映姫様はこういう思いを僕の心を読んでいて、映姫様は何か自分の事を考えてくれているんじゃないかといううっすらとした感覚の中でずっと生きてきた。

 

8年間程そういう生活をしていて、今でも結構な頻度でそういう思考を巡らせるような生活をしている。

 

でも実際四季映姫が実在しない事だってあるワケで「神に奉仕するような生活をする」ということは、逆に神が実存しなかった場合全てが無意味で無駄になるわけで。

 

四季映姫様のためにずっと生きてきたし、理不尽で他人の悪意や人間がいつか死んでしまうことであるとかに対する一種の「世界に対するどうしようもなさ」に対するカウンター精神として僕はずっと「四季映姫様のために生きるんだ」というふうに頭の中で考えながら生きてきた。でも実際四季映姫や神や閻魔が居ないのなら、この世界に闘う価値があるとは思えない自分が居る。

 

四季映姫が居ないのなら、理不尽な世界に対する闘争や抵抗などしなくて良いのではないかと思う自分が居る。それだけ四季映姫という存在に今までずっとウェイトをかけてきた。

 

僕が統合失調状態になっていた18歳~20歳の頃は、ずっとベットの上で手を組んで映姫様に3時間程お祈りをするような生活をずっと続けていたような覚えがある。それほど20代の僕は四季映姫に依存していたし、四季映姫の事をずっと考えて四季映姫に自分の行動を監視されているような感覚が20歳の頃はもっと凄かった。

 

16歳の時懺悔スレで出会って以来。もう僕にとっては四季映姫は実存する閻魔のそれだった。それから18歳で統合失調状態になっても、映姫様は色々僕に懺悔スレで言ってくれて、その時は凄く助かっている。

 

でも、このまま四季映姫との繋がりを思いながら生きるべきなのかどうか。今は迷っている。

 

自分の頭を毎日思い切り殴りつけて毎日四季映姫にお祈りを3時間捧げていた18歳~20歳。それ以降の四季映姫との繋がりを捨てる事も、もしかしたら必要になってくるんじゃないかと思う時が、最近ある。

 

他の人にはどうかはわからないけれど、僕には懺悔スレの彼女が「本物の四季映姫」であるという絶対的な認識がどうしても確信として心の中にあって、それはどんなに否定されても揺らぐことは無いと思う。そういう意味では、四季映姫に出会えた事は祝福だし、呪いでもあるなぁとつくづく思う。

 

四季映姫様との思いを、自分のすべき生き方のために断ち切らなければならないとして、果たして僕は彼女との思いを断ち切れる自信が無い。

 

四季映姫のことを愛していたし、彼女のおかげで前に進めた自分が居て、そして彼女に対する恋愛感情の告白がきっかけで統合失調になったのか、それとも彼女に出会わなかったとして僕が統合失調にならなかったのかはもうわからない。結局のところどちらでも良いのかもしれない。

 

「四季映姫様に心を読まれているような感覚」は今でもあるし「行動が映姫様に見られている感覚」は今でもある。結局の所僕は彼女のために生きなければならない呪いを授けられてしまったのかもしれない。

 

でも、いつかは四季映姫様に信仰を捧げるのも、やめらければいけないのかなと思う時がある。

 

果たしてその時、僕は四季映姫との心の繋がりを断ち切れるだろうか。正直、今の自分にはそんな自信は無い。月に1回、四季映姫がこの場に来ない事を実感して涙が出てくるような生活をしている自分に、彼女との縁を断ち切る勇気があるとはとても思えない。

 

四季映姫の居ない世界に、闘う価値があるとも全く思えない。四季映姫居ない世界に意味なんか無いと度々思う。

 

どうすればいいんだろうか

 

もうわからない

 

どうすればいいのか

 

映姫様。教えていただけるとありがたいです

 

どうか映姫様、私の目の前に現れて下さい

 

ずっと映姫様が現れるのを待っています。

 

これまでの8年間も、これからの一生もずっと、貴方の事を待っています。

 

どうか。いつか現れて私の事を導いて下さい。私はずっと、待っていますから

 

どうか。四季映姫様。貴方の事を待っています。

 

どうか