色々文章の勉強もかねて書く所

文章を上手く書けるようになりたいので、文章の練習に使っているブログです。2015年頃の初期の記事は適当な物も多いです!ごめんなさい!文章の練習にここを使わせてください!

ハースストーンの酒場の喧嘩:6発の弾丸でつとむスピンをしよう

ハースストーンの酒場の喧嘩でつとむスピンをする方法です。

 

つとむスピンとは、COJというゲームで使われていた「死なないプレイをすることによって試合時間を伸ばし相手のサレンダーを待つ」という戦法です。

 

一見相手にストレスを与えられそうですが、回すこちら側も忍耐が必要なデッキです。45分延々とデッキを回して相手の時間をムダにする事に成功しても、自分の時間をムダにしている事になるので時間をムダにする覚悟が無いと相手の時間をムダにできません。覚悟を持って回しましょう。

 

デッキ

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解説

基本的にこの酒場の喧嘩のデッキは

・デッキに6枚セットされており、その6枚はデッキがカードが1枚ずつ入っている。重複はしていない。

・デッキが6枚ドローされて0枚になると6枚になり再装填される。

という仕様になっています。

 

流れとしては

・デッキから秘策を引いていない場合、魔法学者をプレイして秘策をドローする。

・デッキから既に秘策を引いている場合は、魔力なる知性と研究プロジェクトでデッキをリセットする。

・デッキがリセットされたら魔法学者をプレイして秘策をサルベージする

 

この繰り返しでだいたいつとむスピンが成立します。後はyoutubeの生放送を見ながら相手の時間をムダにするために毎ターンアイスブロックをプレイするだけです。

 

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つとむスピン候補として、アルネスが挙げられますが、アルネスが5枚ダブると、アルネスがカードとして処分できなくなるので厳しいです。

 

最初に挙げたデッキも、2マナの発明家とか入れた方が良いかもしれません。マナの軽さとデッキの回転率に関しては各々が考えて頂けると幸いです。

 

☠この記事にあるつとむスピンをやって被った被害や誹謗中傷に対して、当サイトは一切の責任を取らないのでご了承下さい☠

 

それでは、良いつとむスピンライフを。

湯浅政明デビルマンの永井豪版原作を読んでない人の感想(短め)

ネットフリックスに契約して、湯浅政明版のデビルマンであるデビルマンcrybabyを見たので思った事を書きます。短めにする予定です。ザックリ書いてサクッと終わらせます。

 

・作品全体について思った感想。

原画のトーンも背景美術のトーンも「湯浅政明印」になっている感が凄く、もう湯浅政明の作品そのものになってる感が凄かった。湯浅政明ファンだから俺は好きだけど、モンスターの造形が「湯浅政明のソレ」な点については原作ファンは賛否が別れるかも。

 

作画は正直物足りなかった。何より「戦闘シーンの消化試合っぽさ」がピンと来なかった。正直どの戦闘シーンもサクッと始まってサクッと終わる。作画的に「とんでもねえ~」みたいなカットはぶっちゃけあんまりない。

戦闘シーンの物足りなさはやはり感覚として残る。戦闘シーン以外の作画も、及第点ではあるが、やはりもう一味欲しかった。結構動きが激しいアニメなので、動きの演出を強める上でももうちょっと作画パワーが欲しかったなぁという印象。

 

群像劇としての完成度は高く「世の中がおかしくなっていく中で色んな人間が様々な行動を取る群像劇」としての完成度は結構高いと思う。「この人が悪の道行っちゃうんだ~」とか「この人は正義の道を貫くのか・・・!」とかそういう人間と世の中の動き方みたいな物語の描写は良く出来ている。

インターネットを中心とする集団ヒステリーもリアリティがあって「現実にありそう」感がしっかり出ていてよかったと思う。

 

ただ「明と了という2人の物語」という部分が少し物足りなく感じた。

そもそもこのデビルマンは全10話である。ものすごく作品のスピードが早いし、ダイジェスト的スピードで作品が流れていく。

そういう中で「明と了の物語」の描写がやや不足してしまい。どうも了が明を求める理由が不十分なまま最終決戦に望んでしまい。どうしても最後の「アダムとイブの二人」的な状況にエモーショナルさを感じなかった(この辺は個人差かもしれません)

 

80年代的音楽チョイスは良かった。80年代電子音楽を選ぶ事によって、より作品の中で描画されるバイオレンスやエロスがより際立ったものになって、そこは素晴らしかった。

でも作画がもっと強ければもっとバイオレンスやエロスの描写が際立ったと思うし、作画不足はとにかくこの作品の残念な所。作画力が高ければトップクラスまで行けてたかもしれないだけに残念な気持ちが残る。

 

「I  am devilman」の所は、「私はスパルタカスだ」感があって良かった。この作品のテーマである「人はニヒリズムに勝てるのか」とか「人は良心を極限の状況下でも選択できるのか」とか。そういうテーマはきっちり描けていてよかったです。

 

全体的な感想としては「面白かったけど、明と了の関係についてもう少し時間をかけてじっくり物語を描かないと最後のアダムとイブ化した明と了にエモーショナルを感じないし、作画ももうちょっと気合い入れてほしかった。」な作品でした。

 

色々文句言ってますけど、トータルでは75点ぐらいです。見てる間楽しかったので僕は大満足です。みんなもネトフリ買ってとりあえず見てみましょう。

 

終わり

僕が小学校6年生の時にプレイしたbeatmania2dx 9th styleの衝撃と影響

何故か寝る前だっていうのに書きたいから書いちゃいますよ。上手く書けるかな・・・

 

僕が始めてbeatmania2dxをプレイしたのは9th style。当時小学生6年生でした。

 

ある日ゲームセンターに行く機会があって、beatmania2dxを筐体でプレイしている人を見た時「すげえ!」って思ったんです(超うろ覚えだけど一応確実)

 

それで学校で「beatmania2dxって凄くね!?」って振ったんですよ。友達に話を。

 

まあ今考えたら「知らないけど」で終わっちゃう話ですけど、その友達の兄貴がbeatmaniaにハマっている人物で「もっと凄いプレイが世の中にはあるぜ」って話が返ってきたんですよ。

 

それでその友達の部屋に遊びに行ってbeatmania2dxの9thをプレイさせて貰ったのが初プレイです。最初にやったのはmacho gangのノーマル。当時はLIGHT7。でもボロボロだった。macho gangのノーマルは小学6年生には強かった。

 

というより「音ゲー」って概念が無いわけですよ。2005年当時は。

 

今は「リズムゲーム」って便利な単語で色々音ゲーがありますけど、リズム天国が「リズムゲーム」という固有名詞を発明してそれがメジャーになるまでは、音楽ゲームって概念はかなりマイノリティでマイナーなものだったんですよ。

 

そんな音ゲー童貞が7つのボタンとスクラッチを画面を見ずにブラインドタッチせにゃならん音ゲーをやったワケだから、当然ボロボロになったワケですね。

 

それでボロボロだったけど、とにかく「やりたい」って気持ちがすげえデカくなったので、コナミスタイルで13000円を払って9thと専コンを買いました。今考えると結構な投資。

 

それで9thが初デビューだったワケですけど、これがすっげえ衝撃だった。

 

beatmania IIDX 9th Style

beatmania IIDX 9th Style

 

 色々言いたいので紹介していく。

www.youtube.com

 

当時小学6年生ですよ。音楽を聴く機会なんて合唱コンクールかテレビしか存在してないワケで、SLAKEさんのADVANCEは完全に「外宇宙から来ちゃった音楽」だったんですよ。「翼を下さい」とか「恋のダンスサイト」とか「君をのせて」とかが「音楽の全て」だと思ってた小学6年生がいきなりSLAKEのADVANCE聴いちゃうワケだから、もうポルノを始めて見るような衝撃でしたよね。

 

9th styleってテクノが本当に多いんですよ。SLAKETaQの曲が強くて。特にこの時期のSLAKEは本当にキレッキレだった。この頃のSLAKEエレクトロニカは本当に凄い。

 

それが25歳の今になっても石野卓球とかkagamiとかアオキタカマサとかジェフ・ミルズとかケン・イシイとかryoji ikedaとかレイ・ハラカミとかovalとかを聴く理由になっていたりとか。

 

9thがエレクトロニカとテクノに突っ込んでなければテクノオタクにはならなかったワケで「9thが人生を変えてしまった所」の一つがこういったテクノ&ミニマル&エレクトロニカにとにかく9th styleが強かった事です。

 

ちょっと紹介してみます。

www.youtube.com

lower world。本当に凄い。dj takaじゃなきゃ絶対できない、ミニマル・テクノからの中盤のバイオリン。そして最後のメロディとテクノの融合。ミニマルテクノからバイオリンに繋ぐとかいう無茶を成功させるのは本当に凄い。dj takaはこういう転調が違和感なくできる事に凄みを感じるワケですよ。

 

www.youtube.com

同じフレーズが何回も連続するっていう音楽が実在するって事自体が当時衝撃的で。それもこんな不気味なメロディが1フレーズを繰り返すワケですよ。小学6年生の脳みそにダイレクトアタックしてしまったワケです。

 

もうコンビニやスーパーで流れてるJ-POPに「色が強すぎる」とか思っちゃうようになる人生を一生歩まなければならないんですよ。そのきっかけが9th。

www.youtube.com

AKIRA YAMAOKAのこの曲も凄い脳に影響を与えた。

 

まず「歌詞に特に意味がない」ってのがもうビックリしたワケですよ。

今まで聴いた曲は「歌詞に意味やストーリーがある」のが前提だったので。

 

今考えれば、それはJ-POPが「音韻より歌詞に意味を詰め込む方を選んだ」音楽ジャンルである事に起因しているのだけれども、「歌詞に意味がなくったっていい」って音楽に説得されたのはこれが始めてで。

 

この曲の影響で「一番好きなJ-POPの歌詞は?」と聴かれたら「FLASH PAPAメンソールの電気ビリビリですかね・・・」と答えるような人間になっちゃったワケです。

 

このままだと時間が無いので1曲ごとにコメントだけ入れてく。

・lights(dj takaの失恋路線にも影響を受けました。dj taka特有の、真の愛の獲得に失敗した女性の失恋ソングってのも、衝撃すぎたんですよね)

 

・the end of my spritually(ノイズって良いな・・・ってなるきっかけ、これとADVANCEでノイズの良さを教え込まれてovalとかryoji ikedaとか今でも聴いてるんだろうね。)

 

ムービーも9thはとにかくドラッギーなものが多かった。

マッチョギャング・荒山課長・ロッテルザマーキュリーなどといった「完全に荒唐無稽の極み」系ムービーも、ゴールデンタイムのテレビしか見なかった人間にとっては衝撃的だった。

 

e-motion2003や、usual daysのようなエモーショナルなBGAにも影響を受けた。

 

色々書いて見ると、当時芸術なんて一切嗜んで居なかった自分にとって、9th styleは「はじめての芸術作品」だったんだと思う。

 

とにかく9thはデザイン。曲。ムービー全てがアートだったし「遊べるアート音ゲー作品」だったんですね。

 

その他の2dx作品にも影響を受けましたけど、やっぱり最大のインパクトはこの小学6年生の9thなワケですね。

 

 

13年経った今でも2dxをやっていて、昨日plan 8ハードクリアできてガッツポーズとかしてる人生を送っているワケで。

 

beatmania2dxをやった時間とbeatmaniaの音楽を聴いている時間。beatmaniaに関わってる時間はもう20000時間を超えてると思う。

 

もちろんbeatmania2dxには今でも影響を受け続けている。マサヨシイイモリをディグるきっかけがBREAK OVERで、マサヨシイイモリディグる内にMC DOTAMAの本音にたどり着いてDOTAMAの曲を聴いたり。

 

今でも音楽をディグる時は「beatmaniaのライセンスの作曲家とかから探そう」ってなるんですよね。

 

9thから始まったbeatmania2dxから始まる音楽の影響は、今でも続いている。

 

2007年当時は「beatmaniaの音楽はジャンルから逸脱してゲーム音楽ナイズされすぎている」という批判がされていたけれど、今こうやって振り返って見ると「ゲーム音楽ナイズされた音楽ジャンル」という形が、色んな作曲家を生み出す結果となって、色んな人間に影響を与えた音楽になってるって所は、やっぱり感動しちゃうワケですよ。

 

つまり何が言いたいかっていうと、beatmaniaはやっぱすげえなって思うし、これからもずっと続いて欲しいと思う。

 

でもゲームセンター産業がもう頭打ちでゲーセンが閉店続きなのもそうだし、今のゲームセンター事業は「1回コケたら再起不能」が一般的になっちゃった以上、beatmania2dxもいつ事切れてもおかしくない時代になっちゃったんですよね。

 

とにかく俺はbeatmania2dxってコンテンツを終わりまで絶対に追いかけるし、俺の人生の一部はbeatmania2dxのものです。今後も2dxが上手く行くと良いな~まあでもコナミだからな~とか思いながら今日も生きてます。

 

もうクソ眠いので記事はこの辺で、もう少しまとまったしっかりした文章の記事を書きたかったけど、仕方ないね。読んでくれてありがとう。2dxが終わるまでには発狂皆伝取って全白して終わりたいですね。

 

終わり。眠いので寝る。

 

 

 

 

OVAフリクリレビュー:監督のやりたいほうだいと、意外とはっきりしてるプロット

フリクリを最初に見たのは20歳の時だったが、その時は「こんな監督の独りよがりに付き合ってられるか」と思っていたが、25歳になって見てみると非常に面白かったのでレビューをしておきたい。

 

フリクリはとにかく荒唐無稽で、演出に限ってはただ監督の好き勝手が暴れまわっている作品だ。

 

突然漫画になって突然サウスパークになり大平晋也作画監督の修正が入っていない原画が入り金田伊功風のアニメがいきなり始まるし、猥褻でお下品で「観客にプロットを伝えよう」なんて親切な気持ちは一切ないように一見見える。

 

なぜ野球?なぜアイロン?なぜサバゲーが始まる?なんでお箸講座?なんでエヴァンゲリオンなフォント使ったりハルコはエヴァ初号機みたいなジャンプしたりすんの?というのに特に意味は無く、ただ「監督が好きだから」という理由に尽きる。

 

でもそんな中でも「プロットの間接的表現」がフリクリの脚本は秀悦だった事に気付かされた。

 

マミ美はナオ太の兄の事が好きだったが、兄は海外に旅立ってしまっていて、兄は海外で既に金髪美女を手に入れてしまっていてマミ美は失恋の代価彼氏としてナオ太の事が好きになる事でなんとかなっていたマミ美の精神が、ナオ太をハルコに奪わる事でマミ美のフラストレーションが爆発してしまう。そんな中でナオ太のリビドーも小学6年になってついに目覚めを迎えようとしていて・・・

 

20歳の時には気づかなかったが、ありとあらゆる意味なさげなカットや荒唐無稽なセリフが、実はプロットを間接的に巧みに説明している事に気付かされた。

 

別の作品になるがまどか☆マギカという作品では、ありとあらゆる作品内の設定やプロットを「完全に言葉で説明しきる」という事をやってのけた。キュウベエというキャラが全てを説明しきる事で作品を成立させてきた。

 

フリクリのプロットテリングはまさしくまどか☆マギカの対局にあると言ってもよく、何気ない荒唐無稽なやりたいだけの中でアニメーションや場面が超高速でノンストップで進んでいく中で、監督の「やりたかっただけ」の中に大事なプロットをこっそり混ぜる手腕に圧倒されるし「もっと観察してプロットを把握してやろう」という気持ちで何回も繰り返し見てしまうワケである。いわばウォーリーを探せ!ならぬ「プロットを探せ!」なのである。

 

この「やりたいだけをやってるだけと見せかけてプロットを何だかんだで筋の通ったものにする」という所の手腕とテクニックだけで完全にやられてしまう。何回も「今回は脚本に集中して見よう」とか「今回はカットが持つ意味を咀嚼して見よう」とかプロットを追いかける内に監督の好き勝手もなんだか好きになって来る。こうなってくるともうこちらの敗北である。

 

もちろん明かされない部分も多い。海賊王って?メディカルメカニカって何だ?ハルコって何で宇宙人なんだ?

 

でもそれはメインストーリーではなく、この作品のメインストーリーは性欲が芽生えた小学6年生と、死にたがりの女性高校生がグチャグチャな気持ちになる中で自分がどうすればいいか気づくお話であって、そこに宇宙人だのカタストロフィだの宇宙だのはそもそも関係無かったのだ。

 

でも始めて性欲が芽生えたり、思春期の頃の苦しい事っていうのは、当人にとっては宇宙の崩壊みたいな感覚だと思うんですよ。

 

「凄いことなんてない、当たり前の事しか起こらない」

 

このセリフはまさしく、ハル太が自分というものを獲得する事に成功したに他ならないし「未熟な人間が境遇を乗り越え自分という概念を獲得する」というプロットはまさしく様々な寓話の中でも王道そのもの。そう考えてみれば「なんだフリクリって監督の好き放題に見せかけて青春の王道やってるじゃないか!」と気付かされるワケである。

 

劇伴がロックなのも、まさしくフリクリが青春のフラストレーションに対する物語であるからであって、劇伴も優れていた。

 

エモーショナルな街並みの背景美術と、ひたすら「そのカットが楽しいビジュアルであること」意識を集中した結果としての1カットごとの高カロリーぶりも本当に見ていて楽しかった。

 

「人は選ぶ事はまあ間違い無いんだけど、割と王道だから見て欲しいな・・・」という事で。フリクリをよろしくお願いします。

 

そんなめっちゃ楽しいアニメフリクリは、実は現在DアニメストアフルHDで見れてしまうんですよ

anime.dmkt-sp.jp

僕が見た時はDVDだったので、線の質感がわかりづらかったのですが、フルHDだと線の質感が本当にくっきりしていて綺麗でした。ぜひ見ましょう

 

終わり

東方プロジェクトに狂信的な自分の自分語り2500文字(見たい人だけ見るべし的怪文書詰め合わせ)

あまりウェットな気持ちで書いて湿っぽい感じで書いてもマイナスのエネルギーなんてインターネット上にはありふれているワケで、心構えとしてはできるだけマイナスの感情を生まないように気をつけて書きたい。

 

単刀直入にCOすると僕は東方プロジェクトの世界観にファナティックにハマりまくっている狂信者であり「幻想郷は実在する」と信じてやまないまさしく東方狂信者プロ中のプロである。

 

他の映画やアニメを見てもフィクションであるというメタ認識を持って鑑賞を行う人間ではあるが、東方プロジェクトに関しては完全にタガが外れており東方の世界に関しては完全に「幻想郷は実在する」と確信するのだからしょうがない。

 

書籍を読めばありとあらゆるキャラの発言が史実なので緊張が止まらず、新作の発表の日には史実の追加に緊張で夜が寝れなくなるほど東方の世界観に対してセンシティブな神経を持つようになってしまった。

 

幻想郷の登場人物はもちろん全ての人物が実在していると信じてやまないし、東方プロジェクト内の「神」の発言する箴言はまさしく「神のお言葉」だった。

 

僕からすればどんな宗教家や自己啓発本の受け売りよりも東方プロジェクトの人物による台詞の方が信ずるに値すると信じている様な感じだった。

 

どうしてそんな風になってしまったのかというと、原因としては青年期に私はかなり重めの精神病を患ってしまい相当しんどくやられてしまっていた。そんな時に等身大の神が発言している東方というコンテンツに出会ってしまったものだから思いっきりズブズブハマってしまったのである。

 

この2018年において当然の事ながら色々な哲学者が言っている通り(僕の大好きなミヒャエル・ハネケもまた)神は死んでいるのであって、もう世間には神はどこにもいなかった。

 

そんな中で東方プロジェクトには等身大の神が居たし、神が言葉を紡いで居る作品は東方だけであった。

 

別にどえらい悪い事をしたというワケではないが、当時の私はかなり罪悪感に満ちていて、「神に許される」事を追い求めていた。

 

私の夢は「幻想郷に行き神に許される人間になること」になっていた。今でもその夢が頭の中にあるのは事実である

 

しかし、最近になってそういった狂信的思想や生活を続ける自分自身に少し懐疑的にはなってきている。

 

今の自分はどう考えても東方プロジェクトという概念に自分の信念や倫理や理屈のウェイトを置きすぎている印象が強く、東方プロジェクトが作品としてもし終わろうもんなら1ヶ月はベッドで寝込む事は間違いないワケでどう考えても人間としてはあまりにも脆弱な印象は否めない。

 

東方プロジェクトに依存していて、半分はそれによって助けられた部分も多いが、しかしこのまま「1人の人間の理屈や倫理に狂信的になるのはいかがなものか」という気持ちも大きい。

 

少し話がブレてきたので「つまり何が言いたいのか」をハッキリさせたいのだがこの話題を書くだけで心が緊張するタチなので文章の整合性が上手く言っていない点に関してはご容赦頂きたい。

 

私は今でも「そろそろ幻想郷に行けるんじゃないか」と思っているし幻想郷に行ける日をずっと待っている様な生活を今でも半分はしている側面がある。

 

 

どうなんだろうか。

 

このままじゃいけない感じもするが「じゃあ幻想郷が実在しない世界に価値があるのか?」と聴かれると正直迷う気持ちが大きい。

 

少なくとも色々な宗教を見回ってきたが、ほとんどの宗教の神はもう死んでいた。

 

僕は生きている神に出会いたかった。生きている生身の神が居るのは幻想郷しかなかったし、東方プロジェクト以外に生身の神が存在するコンテンツは存在してなかった。

 

いつかは東方プロジェクトもコンテンツであるが故に終わりがあるだろうし、コンテンツが終わった時には東方の全てを忘れて自分の好きなように生きたいというのが理想ではある。

 

東方プロジェクトに依存しきっている僕自身が果たして東方が終わった時に、素直に別れを告げて忘れられる自信はあんまりないし、一生東方の狂信者として生きそうな気はするけれど

 

結局話が湿っぽくなってしまった。

 

一応ここでCOするが、四季映姫の懺悔スレに400レス以上精神病的書き込みをしたのも自分である。本当にあの頃は17歳で、完全に統合失調にやられてしまっていた自分は、四季映姫の懺悔スレを完全にぶっ壊してしまった。今でも申し訳無く思っている。

 

精神病が免罪符になるわけではないが、あの頃は本当に電車で自分の頭を殴りつけたり満員電車の中で雑誌を食べたりするぐらいには追い詰められていたので勘弁して頂きたい(満員電車の中で雑誌をよだれを垂らしながら夢中で食べた時は、気づいたら周辺1メートルに誰も近寄っておらず丸い円が出来ていた事は懐かしい)

 

そういえば、17歳の頃に始まった話だった。

 

17歳の5月頃、「何かが始まる予感」がずっと続くような生活が続いて、次第に緊張感が高まっていった。

 

17歳の8月頃からは誰かに監視されている気持ちが高まった。八雲紫や四季映姫に監視されている感覚が続いて、四季映姫や八雲紫による思考盗聴がされていると22歳頃まで信じながら毎日生活していた。

 

今は落ち着いて居るが、こうやって振り返って見ると18歳~23歳の自分は完全に統合失調にやられてしまっていた。文章に起こすと統合失調ぶりが際立つ。

 

そういった統合失調時代の後遺症として、東方プロジェクトに狂信的になっているというのが本当の理由だと思う。

 

これだけ湿っぽい事を書いて難だけれども、今は東方プロジェクトだけが人生の全てって感じの人生ではなくて、色んな映画やアニメや漫画によって今の自分は出来ている。

 

1つのコンテンツに脳を交換されるのは祝福でもあるけど、呪いでもあるよってことに気をつけて頂けるとありがたいです。

 

-記事ここまで-

 

う~んやっぱり我ながら怪文書だな~と思ってしまう。

こういうのインターネットに残すのどうなんだろうと思うけど、言いたいからしょうがないね

 

この記事読んで不快になった人を忘れて頂けるとありがたいです。

 

 

 

 

 

秘封ナイトメアダイアリーという怠惰と惰性で作られたゲームをプレイして感じたZUNに対する不信感

この記事は僕自身の偏見が強いです。

 

まず、秘封ナイトメアダイアリーが「納期が間に合わなかった結果仕方なくこの形でリリースされたゲーム」という可能性は十分にあります。

 

東方がZUN氏単独でのゲームデザインと制作である以上、「制作進行の良し悪しがZUN1人で決まってしまう」ので、風邪や生活事情などの些細なきっかけで作品のクオリティに影響が出るのは明白です。

 

なので今回の秘封ナイトメアダイアリーは「たまたま何かしらの原因で制作進行に問題が発生した結果の作品」である可能性も十分にありえます。

 

ですが、秘封ナイトメアダイアリーという作品全体に漂うクオリティの欠落は、ゲームデザイナーであるZUNに対する不信感を個人的に強く感じてしまいました。

 

 

 

テレポートの入力は、少しプレイすればこれは厳しいキー入力だなとわかるはず。正直「テストプレイあんまりしなかったのかな」という印象が強まってしまう。

 

悪夢曜日のコピペは言わずもがな。「このままではボリューム不足だから、コピペで水増ししよう」と思ってZUN氏がコピペを行った事は明白。

 

コピペでユーザー側が納得するだろうとZUN氏が思っているのであれば、正直ZUN氏をゲームデザイナーとして敬意を持つのはもうやめようかなと思っています。

 

過去作のキャラクターが一堂に会する最大の盛り上がりポイントを、水増しコピペで済ませてしまおうという決断は、ゲームデザイナーとしてはあまりにも妥協と怠惰的決断が過ぎる。

 

スペル名は悪夢曜日に関してはもう「診断メーカー」レベル。ただ2人のキャラと適当な感じを抱き合わせただけ。レベルデザインも相当厳しい所があるが、この辺の世界観の部分もかなり手抜き感を感じてしまう。

 

弾幕もテレポートギミック系に関してはただストレスが溜まるばかり。死んでも「テレポの入力がクソだから死んだのであって、俺のせいじゃない」という気持ちがただ湧くばかりで、リトライボタンに手が伸びる気が湧かないスペルの多さに唖然とさせられる。

 

後半はただただイライラが溜まるゲームプレイだった。

 

東方はゲームである。

 

ゲームの価値を決めるのは「システムとレベルデザイン」である。

決してキャラクターでも世界観でも音楽でも無い。

 

東方はキャラが~とか音楽が~とか世界観が~とか色々言う人も居るかもしれないが、僕にとっては全てのビデオゲームの価値の99%は「システムとレベルデザイン」によって決定されると考えている(そうでない人もいるし、そうじゃないという考え方もあっても良いのだけれど)

 

そういう意味では今回の秘封ナイトメアダイアリーは大失敗作であると断定せざるを得ない。

 

システムからレベルデザイン、調整やボリュームに至るまで全てが正しく機能していない駄作と言っても過言では無いと思う。

 

正直このクオリティのゲームデザインが、今後の東方でも継続されてしまうのであれば、僕は東方をプレイするのは控えようかなとも思っている。少なくともこんな「妥協と怠惰の塊」のようなゲームデザインを作るクリエイターに、興味を持とうとは思わない。

 

次の東方シリーズは、しっかりとしたゲームデザインになる事を期待している。それと同等な気持ちで「もうこのゲームシリーズはいいかな」という気持ちになっている自分も居る。

 

とにかくZUN氏には頑張ってほしい。

 

ただ僕は、「もしZUN氏がこのクオリティで問題ないだろう」という気持ちでこのゲームにゴーサインを出したのであれば、もう僕は東方というゲームシリーズには期待しないでおこうと思った。

 

 

記事は以上です。

 

正直かなり愚痴気味ですね・・・不快に感じられたら本当に申し訳無い・・・

 

僕の東方シリーズに対する期待値が高すぎたっていう部分もぶっちゃけあるので、期待値のバイアスが最悪の形で働いた結果なのかなとも感じています。

 

何度も言いますが、秘封ナイトメアダイアリーを素直に楽しいと感じた方はこの記事を読んで意見を変えるようなことはしないでください。

 

他人が楽しいとゲームプレイで感じた印象をねじまげたいという気持ちはこの記事には一切ありません。もし貴方が「秘封ナイトメアダイアリーが好きだ!」とプレイ中に感じたのであれば、その気持ちを最優先してください。

 

僕自信がゲームに対して辛口になりすぎただけかもしれませんし。

 

みなさんもぜひ秘封ナイトメアダイアリー遊んでレビューをみんなで一緒に書きましょう。このゲーム本当に今賛否両論パックリ割れてます。この作品のクオリティはともかく、この作品に対する議論は間違いなく面白いと思うので、みなさんもぜひ遊んでレビュー書きましょう。みなさんの意見もぜひ聴いてみたいです。

 

それでは。

 

 

 

 

秘封ナイトメアダイアリーがしんどい

僕は東方に関しては一応ほぼ全作プレイしていて地霊殿ルナをノーコンしたり、妖々夢ルナのノーコンをした経験がだいぶ昔ではあるがあって、結構東方に対して熱狂的な熱量を持っていた。

 

今回の秘封ナイトメアダイアリーも、かなりの期待値を持ってプレイした。

 

しんどかった。

 

最初は楽しかったが、ゲームが後半になるにつれてステージデザインや仕様などの様々な部分がボロボロになっていくのがただただ辛かった。

 

こんなに苦しい気持ちになったのは、最初は楽しくてしょうがなかったMGSVが、2章目に突入して苦行の塊になったあの感覚に個人的に似ているなと感じた。

 

テレポートシステムはキー入力に関しては最悪。

「停止している状態でキーを2連打して方向を入力」の条件のシビアさが辛すぎる。

 

停止して入力2回連打も厳しいし、テレポートの方向指定にしても「ナナメ入力が誤爆する」もしくは「ナナメ入力が入らない」などの入力ミスも当然出てくる。

 

キーボード勢は果たしてこの入力でまともにプレイができるのか?

 

何よりも腹立たしいのは、この「複雑で誤爆が多く入力が厳しいシステムがゲーム内で必須になっている」事だと思う。

 

クリエイターのZUN氏がこの入力に関して疑問を抱かなかったのも正直かなり複雑な気持ちを抱かざるを得ない。「これでテレポートシステムは大丈夫だろう」と思ったのであれば、テストプレイを十分に行ったのかかなり疑問を抱いてしまう。

 

レベルデザインに関しては「悪夢曜日」までは結構面白かった。

特に序盤はしっかりしていて、序盤は面白さをしっかりキープできていたと思う。

 

ただ後半の「悪夢曜日」がどうしてもこのゲームを容認できなくさせてしまってる。

 

悪夢曜日に突入し、色々なキャラがクロスオーバーをするようになる。

東方ファンとして最初に悪夢曜日に突入した時かなり気分が高揚した。

 

でも続けて悪夢曜日をプレイする度に、だんだんと苦痛が楽しさを上回るようになり、このゲームを容認するのが難しいレベルまでかなりの怒りを抱く結果になってしまった。

 

悪夢曜日は「3キャラのうち2人を組み合わせてそれぞれが同じパターンを撃つ」というもので、それを「コピペして6ステージを組ませる」というものだった。

 

せっかくの「夢のタッグ」や「夢のクロスオーバー」が同じパターンの弾幕を2キャラがただ撃つだけ。

 

それが何ステージも延々と続く。

 

ただただ辛かった。

 

ZUN氏のファンサービスがコピペだけで、個性もなくただ2人が弾幕を放つだけのステージデザインで納得して秘封ナイトメアダイアリーがリリースされたということが辛くてしょうがなかった。

 

恐らくはボリュームが足りないという話になって、納期の問題が恐らく発生し、このような形でリリースされたんじゃないかと予想はしている。

 

だからといって許容できるワケではない。それがあるとしてもあまりにもこの秘封ナイトメアダイアリーの後半は「突貫工事」が過ぎる。

 

これは自分の感覚かもしれないが、弾幕デザインも後半はボロボロな印象が強い。

 

「なぜこのキャラがこの弾幕を放つのか」が全くわからないようなただの無個性な弾幕が延々と続いている印象も強かった。

 

スペルカードの名前も悪夢曜日のものに関してはもう愛もへったくれも無い。ただくっつけただけだ。夢のクロスオーバーがこんな結果で終わってしまうのは悲しすぎる。

 

ただ秘封ナイトメアダイアリーにも良いところはある。最低なビデオゲームなんかではない。人間力を要求してくるガチ避け系弾幕に関しては正直楽しい弾幕が多かった。逆にギミック系は苦痛が多いが、少なくとも人間力要求系ガチ避け系弾幕デザインに関しては楽しいゲームデザインにはなっていたと思う。

 

ただしワープ利用系パズル弾幕はそれとは逆にかなり粗悪なものが多い印象が強い。

 

コピペに関しても「これはこれで面白い」的な受け取り方をすることができるユーザーであれば、そこまでひっかかる事無く「普通に楽しい」と感じるゲーム体験ができるんだと思う。

 

でも僕は正直ダメだった。システムデザインやゲームデザインの技術としてZUNをある程度リスペクトしていただけに、クリエイターであるZUNに「時間合わなかったからコピペだけどこれでも楽しいだろ?」と言われている感覚がどうしてもしてしまい、ゲームデザインレベルデザインを受け取る側のプレイヤーとしてそれが苦痛で仕方がなかった。

 

正直今後の東方シリーズは発売日には買わなくてもいいかもしれないと思った1作だった。

 

ZUN氏ももう10数年以上同じゲームシステムで作っているのだから、レベルデザインの考案もかなり厳しいラインにまで来ているのかもしれない。

 

ZUN氏にはぜひとも次作では今作の雪辱を果たすレベルデザインを作れるように頑張ってほしい。

 

ただ、このようなレベルデザインが今後の東方シリーズでも続くようであれば、僕は「ビデオゲームとしての東方」を追いかけ続けるのはどこかでやめてしまうかもしれない。

 

そうならないように、今は願っている。

 

これまで毎作東方をクリアした後に感じる「次回作が楽しみ」という感情が「次回作が不安でしょうがない」という気持ちに変わってしまった事にすごく動揺している。

 

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↑今回の商品。1000円なら正直まあ元は取れると思う、僕が熱量の高すぎる東方ユーザーで、あまりにも期待値のバイアスがかかりすぎてそれで怒っているのもあると思う。でも僕はダメだった。

 

秘封ナイトメアダイアリー。現在もかなり賛否両論です。みなさんも良ければ1000円ですので買っていただいて「このレベルデザインはダメだ!」とか「いや、こういうレベルデザインでも俺はいけるな」とか色々評論すれば良いと思います。

 

というわけで秘封ナイトメアダイアリーがしんどかった話でした。

 

ここまで読んでいただいてお疲れ様です。愚痴気味で申し訳ありませんでした。この記事の中にある作品の否定は「意見」でしかないので、もし秘封ナイトメアをプレイして楽しいと思ったユーザーさんはぜひその気持ちを大事にしてこの記事にある僕の意見は無視してください。

 

貴方の感じたゲーム体験こそが本物であり、ゲームカタログwikiなどに書いてある評論をあまり盲信せず、貴方の感じた楽しい楽しくないという気持ちを信じてください。

 

それでは。