私はundertaleというゲームが大好きです。
発売から暫くが経過し日本語化パッチもついにβが完成され、それに伴い実況プレイ動画もちらほら見かけるようになりました。
実況プレイも良いものだと思いますし「見る」という形でゲームの体験自体を否定するつもりは一切ありません。
でもundertaleというゲームだけは是非自分の手でプレイして自分の目で確かめて欲しいのです。
なぜ自分の手でプレイしなければダメなのかをを自分なりに考えてみました
・選択と結果についての寓話
undertaleは選択と結果についての寓話です。
一般的なゲームにおいて、主人公の選択は基本的にゲームという環境によって正当化されます。
敵がモンスターであれテロリストであれ殺さなければゲームクリアというオブジェクティブに辿り着けない。全員殺さないとムービーに入らない。だから殺す。その行動に責任はなく、ゲーム内の解釈によって正当化されるかそれに言及されることがないかのどちらかです。例え間違った選択をしたとしても、非難されるのはゲームの主人公であり我々にできるのはその主人公が非難されるのをムービーで傍観者として観察するだけです。(俺は悪くねえ)
undertaleでは選択の権限は常にプレイヤー自身にあります。
ゲームを進めるという行為。進めるための手段についての選択に対する責任が容赦なくプレイヤーにのしかかりそして我々を苦しめます。
この苦痛や背筋が凍る体験は傍観者という立場、つまり実況プレイを見るという行為では絶対に味わえません。行動の責任の所在が傍観者である視聴者にはないから心を苦しめることはないのです。
特にこのゲームのGルートと呼ばれるルートでは、プレイヤー自身に対する警告が多々しかけられています。
「ゲーム側はこのルートを進むのをプレイヤーに対して推奨しない」
「このゲームをクリアするのをやめてくれ」
「このルートが作られてあるゲームの責任じゃない。君の選択なんだよ」
「行動原理が好奇心であれなんであれ、全部君の責任なんだよ」
Gルートはありとあらゆる精神攻撃の塊です。僕はプレイしている間はずっと神経衰弱で、クリアし終わった今でも夢でGルートの光景を見るようになりました。
悪行も善行も全ての責任をプレイヤーの所在にする。些細な好奇心であれ何であれ誰かを傷つけるという行為をこのゲームは赦しません。徹底的に逃げ場なくプレイヤーに裁きを与えていきます。
私はこのゲームが嫌いでもあります。むしろこのポップな世界観やキャラクターの裏側にこびりついている致死毒級の邪悪やグロテスクになぜ皆憤らないか不思議に思うほどです。なぜ皆はこのゲームに含有される悪意に怒らないのでしょうか。
undertaleはRPGというよりアドベンチャーゲームに近い作品です。(まあ、これもゲーム内の一種のミスリードになっているのですが)
RPGっぽいし・・・と敬遠しているプレイヤーも安心してプレイできます。というかプレイしましょう。
とにかく、ぜひ自分の手でプレイして下さい。steamのイントール方法が分からないなり日本語化がわからないなりのトラブルがあれば教えるのでフォローしてない方でもリプライを送ってください。教えます。
自分なりにundertaleをプレイして欲しい理由を書いてみました。上手くかけたか自分でもよくわかりません。でも熱意は伝わっていて欲しいです。加筆するかもしれません。多くの人に見てもらわなくても、これを見て「自分で買ってやってみよう」と思う人が増えていただければ幸いです。